エルセーヌ

エルセーヌで出会った、真実の物語 Real Story〜Vol.11〜

エルセーヌで出会った、真実の物語 Real Story〜Vol.11〜

story112018.11.21 T・T様

体内年齢70代から30代へ!もう一度、心にトキメキを。

※効果には個人差があります。体験談は個人の感想です。
※写真はイメージです。

プロローグ〜エルセーヌ・Yの記憶

I店には、とても不思議で素敵なお客様がいらっしゃいます。
T様。
若いエステティシャン達が「T様、聞いてくださいよぉ〜」と言って、一生懸命、何か相談しているのをよく見かけます。普通は、お話の中心になるのはお客様です。それが、T様は若いエステティシャン達に囲まれ、言葉少なに「うんうん」とうなずきながら、話を聞いてくださっていることの方が断然多いのです。

T様は、決して派手に目立つ方ではありません。むしろ、お店のパーティなどでも、いつも後ろの方にいらして、静かにニコニコされているような方なんです。そのおっとりした雰囲気が、若いエステティシャン達をも惹きつけているのだと思います。

T様と初めてお会いしたのは、今から7年前。脚痩せを目指して、とのことでしたが、私にはT様がとてもお疲れのように思えました。そのせいでT様は、実年齢よりずっと上に見えました。現に、最初のカウンセリング時の結果を見ると、実年齢40代に対し体内年齢はなんと70代————!

「この方を、まずは健康にして差し上げたい。イキイキと、元気に、若々しく。」
そう強く思ったことを記憶しています。

穏やかに、ゆっくりと、T様と私達のお付き合いが始まりました。そして、私達の予想より遙かに早く、T様の体内年齢は70代から30代へと変化していきます。

これは、変化した体内年齢を追いかけるように心まで若々しくよみがえったT様の、静かな静かな物語です。
T様のお話を聞いてください。

パレードの衣装

思春期の頃から私には、女の子が当たり前に持つ「キレイになりたい」という気持ちが、ちょっと欠けていたのかもしれません。自分の足が太いことに気づいていなかったし、気づいた後も、特に隠そうとか細くなりたいと考えることもありませんでした。

あれは、高校生の時のこと———。
私の所属するブラスバンド部が、地元のお祭りのパレードに参加することになりました。私の担当楽器は、フルート。フルートと言えば、入部時に最も希望者の多い人気の楽器です。でも、私はその座を自分で勝ち取ったわけではありません。楽器が決まらなくて、ぽつんと一人になった私に声を掛けてくれたのがフルート担当の先輩だったのです。私はいつもそんな風に、“前に出る”ことが苦手な女の子でした。

パレード本番の数日前、練習に追われる私達に、先生から当日の衣装が発表されました。

「女子は全員、テニスのスコートをはいて参加するように。」

スコートを持っていなかった私は、ほかの何人かの友達と一緒にテニス部の友達から借りることにしました。部室を訪ね、サイズが合うかどうか試着して鏡の前に並んでみると・・・、

「うっそーー!」

短いスコートの下であらわになった足は、明らかに私だけ、ものすごく太かったんです。やさしい友人達は皆、見て見ぬ振り。『我ながら、風船みたいな足だな』と思いました。無理もありません。身長157cmで体重は60kg。私が人生で最も太っていた時期のことです。

以前から細くはないと思っていたけれど、ここまでとは・・・。
そういえば、母も太い足をしてたっけ。その母からいつも、「長いスカートをはきなさい」と言われるけれど、そうか、こういうことだったんだ・・・。

「まぁ、気にすることないか!」

そう。母の言う通り、普段は長いスカートをはいてさえいれば隠せるんですもの。一日くらい気にすることないわ。

パレード当日、私は借り物の短いスコートをはいて平気な顔で街を行進しました。
その後、さすがに少し食事をセーブして若干体重を落としたのは、私も年頃だったということでしょう。でも、時が過ぎるとそんな努力も忘れ、いつの間にか体重も元に戻っていきました。

DVの果てに

女の子としてのトキメキや恋心にもあまり縁がないまま、学生生活を終えると就職。そんな私が結婚したのは28歳の時、相手は知人から紹介された7つ年上の人でした。その人のやさしさに、恋に疎い私でも、やっぱりドキドキしました。

子どもはいません。できませんでした。病院へも行きましたが、時間だけが経過する中で話し合い、二人の生活も悪くないよねと結論を出し、穏やかに暮らしていました。

いえ、穏やかに暮らしているつもりなのは、私だけだったのかもしれません。
夫は何度か転職を繰り返していました。私もフルタイムで忙しく働いていましたし、特に相談もされなかったので、それについて話し合ったことはありません。彼が思う通りにすればいい、そっとしておく方がきっといい、そう思い込んでいました。

何がきっかけだったのか・・・
40代に入った頃から、夫の私に対する言葉の暴力が始まりました。そしてそれは、急速に激しさを増していったのです。

「おまえの料理は、まずい!」
「おまえの着ているものが、オレは気にくわない!」
「おまえの足は、太い!」

暴言は日に日にエスカレートし、やがては言葉だけでなく、夫は私に手まで上げるようになっていきました。あんなに穏やかでやさしかった人が・・・。

どんなに罵倒されても殴られても、朝になると私は出勤していきました。総務と経理を担当していたため、私が休むと会社が回らなくなってしまうことはよく分かっていました。そして何より、私には仕事しか逃げ道がなかったのです。

でも、私にも限界がきました。止むことのない暴言と暴力に耐えかね、私はある日、とうとう家を出たのです。

あの頃の夫は病み、そして壊れていました。本当は何かもっと別のことを私に話したかったのかもしれない、助けを求めたかったのかもしれない———。けれども、当時の私にはそんな余裕はありませんでした。もしもあれ以上、夫と一緒に居たら、私自身がどうなっていたかわかりません

消えない残響

すべてを清算して実家に戻った私は、がむしゃらに仕事に打ち込みました。そうやって夫の記憶を心の中から追い出してしまおうとしたのです。

苦い記憶が少しずつ薄らいでいった頃、私は母と一緒にバス旅行に出かけました。週末を利用して、二泊三日で九州を一周するのです。太陽の光あふれる明るい九州の景色を眺め、おいしいものでも食べて、過去を忘れよう。気持ちを切り替えよう。元気を取り戻そう。そんなつもりでした。

ところが初日から、私の旅は苦しみとの闘いとなりました。バスに座るとあっという間に足がむくみ、しかも痛くて痛くて! 夜、宿についても引かない痛みを取る方法もわからず・・・。あぁ、あの頃エルセーヌのホームケアマッサージを知っていたら、毎晩やって楽になれたのに!

「何とかしなくちゃ———!」

自分の足がとんでもなくむくみやすいことに初めて気づいた私は、帰るとすぐにネットで検索し、生まれて初めてエステサロンを探しました。整体や足つぼなど、ほかにも方法はあったと思います。でも、私が探したのはエステでした。・・・あの日の夫の暴言が、いつまでたっても消えずに耳の底にこだましていたのです。

「おまえの足は、太い!」「おまえの足は、太い!」

——— ただむくみや痛みを取るだけじゃなく、細くてキレイな足になりたい!

こんな感情を抱いたのは、かつてないことでした。

こうして、ある脚痩せ専門のエステを見つけて通い始めたのですが、私はいつも何となく物足りなさを感じていました。それなりに結果は出ているのですが、なんだか違う。私のこの状態にもう一歩、踏み込んでほしいのに、寄り添ってほしいのに・・・。

満たされない私は、ほかのエステを体験してみることにしました。

体内年齢70代

お試しで訪ねたそのサロンは、入った瞬間から明るく、広々とした開放感がありました。ガウンに着替え、店長から体験コース前のカウンセリングを受けます。事前に身長や年齢を入力して体重計に乗ると、基礎代謝量や体内年齢までが数字となって次々と現れました。

「あれ? 体内年齢が・・・、70代って?」

データを書き取っていた店長の手が止まりました。一緒になってデータをのぞき込む私。

「えぇーっ!?」

思わず声を上げていました。そこには確かに、「70」という数字が表示されていたのです。

「この肩のコリ・・・、背中が亀の甲羅みたいに固まっていますよ。私が触った中でも、一番固いかもしれません」。

しっかりと力強くリズミカルにマッサージしながら落ち着いた口調で静かに語りかけてくる店長の言葉が、固く閉じた私の心にやわらかく響きました。
『体内年齢70代だから、仕方ないか・・・』そんなことを考えながら、黙ってじっと聞いていました。

やがて体験コースが終わると、店長は私に微笑んで、ひと言。

「T様、若返りましょう!」

力のこもったその言葉に、瞬間、目の前がパッと開けたような気がしました。暗闇の中に差し込んできた光で、なりたい自分がはっきりと見えたような感覚——。その言葉はまるで、つらい体験を引きずっている私に、こう言っているように聞こえました。

「T様、もう一度、生き直しましょう!」

それが、私とエルセーヌとの出会いでした。

エルセーヌは、前に通っていたエステとは全く違っていて、驚くことばかりでした。例えば、前のところでは「トリートメントさえ受けていれば、パンだってお菓子だって、何を食べても大丈夫ですよ!」と言われていましたが、エルセーヌでは一人一冊渡されるお食事ノートに食べたものを記録し、毎回、細かな指導が入ります。

カウンセリングの直後から私を担当してくれたYさんには、さらに驚かされました。ノートを見る前でも私の身体に触っただけで、「T様、小麦粉製品を食べましたね?」と言い当てしまうのです。

「この人には嘘はつけない」。そう思いました。

Yさんのことは最初から、「私の悩みを分かってくれる人だ」と感じていました。人見知りな私の心の深いところまで、ふわっと入ってきて、こちらが何も言わなくてもトリートメントをする指先を通して何でも気づかれてしまうのです。「それにしても70代って! 失礼しちゃうワ!」そんな軽口を叩けるようになるのにも、それほど時間は掛かりませんでした。

こうして、ようやく本当に自分を任せられる居心地の良い場所を見つけた私は、それから週に2、3回、会社帰りにエルセーヌに通い続けました。

訪れた変化

エルセーヌは、私にとって癒やしの場でした。会社では、がむしゃらに仕事をしたせいか役職を与えられましたが、それが新たなプレッシャーとなって胃の痛むようなストレスを生み、身体も心もボロボロでした。でも、年老いた両親にこれ以上心配をかけることはできません。何もかも一人で抱え込み、つらくても話せる相手もいない時、エルセーヌで過ごす時間がどんなに待ち遠しかったことか。誰にも言えないことや溜まった愚痴を、Yさんやほかのスタッフさんにぎゅうぎゅうマッサージされながら聞いてもらうんです。個室じゃないのが逆によかったのかもしれません。湿っぽくならずに、あっけらかんと話すことができました。

自分の変化に疎い私でしたが、頑張ってホームケアも続けているうちに、太ももが細くなり、身体全体のラインが自分でも驚くほどキレイになっていきました。定期的に測る体内年齢も、すぐに実年齢を超え、30代を示すようになっていました。

ちょうどその頃、洋服を買いに行った時にこんなことがありました。いつものように地味なグレー系の服を見ていたら、店員さんから「お母様のお洋服をお探しですか?」と尋ねられたのです。

今まで目立たない服ばかり選んできたけれど、もっと明るい服を着てみようかな?
そうよ。ガラものを着たっていいわよね?
身体のラインだって、今の私なら出しても大丈夫——!

はじめての気持ちの変化でした。それで、思いきってファッションを大きく変えてみました。ヘアスタイルも、わざわざ銀座の美容院まで出かけ、眉まで整えてもらいました。

その姿でエルセーヌに行ったら、Yさんが喜んでくれたっけ。
「T様、ショートパンツにも挑戦しちゃったらどうですか?」なんて言って。オシャレすることやキレイになることをあんなに楽しく女子トークしたのも、初めての経験でした。

母を看取って

美しくなる喜びで心がはずむような毎日を送っていた私に、突然、大きな不安が襲いかかりました。一昨年、母が倒れたのです。救急車で運び込まれた病院で何度も検査を重ねた挙げ句、告げられた病名は、悪性リンパ腫。もう治療ができないほど進行していました。

「家に帰りたい」という母の気持ちを優先し、病院から連れて帰り、弟と交代で会社を休んでは看病を続けました。私も更年期に入った頃で体調の悪さも重なり、本当にきつい毎日でした。

それまで週に2回は通っていたエルセーヌも、月に2回行けるか行けないかという状態に。あんなに気丈だった母が、私が家を空けると「寂しい」と言って電話をしてくるのです。トリートメントの後で携帯を見ると、何度も何度も母からの留守電が残っていました。

老齢の父も一生懸命手伝ってくれましたが看病の日々はあっけなく終わり、一年後、母は遠いところへ旅立ちました。

そういえば二人で旅をした時、私が勤めを終えたら、また一緒に旅に出ようって約束したよね、お母さん———。

あの日、二人で話したことを、今でもふっと思い出すことがあります。

前を向いて生きよう

母を亡くした私はなかなか前向きな気持ちになれず、沈んだ日々を送っていました。久し振りにエルセーヌに顔を出したある日、Yさんはやっぱり私の変化にすぐに気づきました。

「T様、お母様を想うお気持ちを大事に守りながら、ご自分のことも大切になさってくださいね。前を向いて行きましょうね」。

Yさんは、何くれとなく私を心配し、励ましてくれました。

・・・そうね。このままじゃダメ。お母さんだって天国で心配するわね。
でも、私、やっぱり淋しい。
あぁ、誰か一緒に時間を重ねられるパートナーがいれば———!

Yさんが言ってくれたように、「前を向いて」生きよう。
私は思いきって、街ぐるみで開催される大規模な合コンイベント“街コン”に参加してみることにしました。今まで時間を掛けてエルセーヌで自分を磨いてきたからこそ、勇気を出すことができたんだと思います。

出会いはすぐに訪れました。その人のさり気ない仕草、声のトーン、隣に座ったときの自然な温もり・・・。何度かお会いしてお話をしているうちに、「あぁ、私って本当はこういう人が好きだったんだ。この人のために何かできるといいな」と思いました。残念ながら、その方とはご縁がなく終わってしまいましたが、20代の時とは違う、40代の今だからこそ、自分の本当の気持ちが分かったことが何だかとても嬉しくて———。

だから今、私はもっともっと自分を磨かなくちゃいけないんです。気になる人を見つけて、振り向かせなくちゃいけないんです。

前を向いて生きよう。自分のことも相手のことも大切にしよう。

70代から30代へ。実年齢を超えて体内年齢が若返ったら、心はさらに若く、20代に戻ってしまったみたい。私は今、20年振りのトキメキを楽しんでいます。

エピローグ〜エルセーヌ・Yのこぼれ話

お会いしたばかりの頃、T様あまりご自分のお身体のことを分かっていらっしゃいませんでした。だから、「小麦粉製品を食べましたね?」と当ててしまった時は、本当に驚かれました。でも、私達には分かります。身体の“流れ”を見ていますから。身体は毎回の施術、そして日々の生活を積み重ねてつくっていくものです。私達がお客様にホームケアをお願いし、毎日のお食事のことまで伺うのはそのためです。だから、今日、手に伝わってくる固さや流れがいつもと違えば、「その原因は何?」と、すぐに気づくことができるんです。

そんなT様が、今ではすっかり変わられました。ご自身のお身体のことにとても敏感になり、何より今、気持ちがとても前向き、外向きです。

人生はまだまだこれから! ガラもののブラウスだって、ショートパンツだって、楽しみましょう! 私達はいつでも、T様の美と健康と幸せのお手伝いをいたします!

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