エルセーヌ

エルセーヌで出会った、真実の物語 Real Story〜Vol.09〜

story092018.08.07 M・A様

人を支え、人に支えられて、精一杯美しく、私は生きる。

※効果には個人差があります。体験談は個人の感想です。
※写真はイメージです。

「Y店長、お帰りなさい! またあなたに会えるなんて・・・うれしい!!」
「あっ、A様! お久しぶりです・・・あれから7年・・・ですよね? なんてお懐かしい・・・」

2017年5月。
長い長い時を経て再会したY店長と私は、思わずハグを交わしていました。

「A様、また一緒に頑張りましょう! 今度は一緒に『お客様変身コンテスト』を目指しましょう!」

エルセーヌに通い始めて25年。月2、3回のエステは、私にとって毎日の暮らしをちょっと贅沢にする自分へのご褒美のようなもの。
だから、いつまでも輝く自分でいたいな、という気持ちはあっても、特別痩せようとか、まわりがびっくりするほどキレイになろうとか、そんな欲を持つことはありませんでした。

でも、信頼するY店長と再会してこう言われた時、老いの入り口に立っていた67歳の私に、生まれて初めて「今だからこそキレイになりたい!」という美のスイッチが入ったのです。

長い人生、いつ何が起こるかなんて、本当にわからないもの。

私は、夫をはじめとする周りの人々に支えられて、その年に開催された2回の「お客様変身コンテスト」に挑戦することになります。
それは、時を同じくして大きな困難に襲われた家族を支え、ともに乗り越えての挑戦でした。

Y店長との出会い

私がエステに通い始めたのは、3人の子ども達が受験を終えた、42歳の春。今から26年も前のことです。
母親としての大きな仕事を一つやり終え、自分を磨くために何かしようという気持ちが目を覚ましました。
実は、ほっそりと痩せていた私の母が年齢とともに太っていくのを目の当たりにして、危機感を覚えていたのも確かです。得意の洋裁で作る服をいつまでもキレイに着こなしたいという気持ちもありました。

はじめに入会したのは、ある大手エステ。でも、学校行事やお稽古ごとの合間に通うとなるとなかなか希望の時間に予約を取ることができず、困った私はある日、つなぎで他のエステを訪ねました。

―――そこには、私が知っているエステとは全く違う空気が流れていました。
いるだけで自然と元気になれるような活気、そして、素の自分でいられる気楽さ・・・。
その雰囲気がすっかり気に入ってしまった私は、一度でお店を移る決意をしました。
それが、私とエルセーヌとの出会いでした。

エルセーヌはいつ行ってもアットホームなあたたかさに満ち、スタッフさん達もみんな若くていい子ばかり。中には親元を離れて寮暮らしをしている子もいるものだから、私もついつい母親のような気持ちで、お菓子を焼いた、お豆を煮たと言っては、差し入れをしたりしていました。
もしかしたら、カロリーコントロールの邪魔になっていたかもしれません。でも、若いスタッフさん達が娘のように心から喜んでくれるのがうれしくて・・・。
そんな人間関係が結べる、本当に気楽で居心地の良い場所でした。

後に店長となるYちゃんも、寮から通うスタッフとして配属されてきた一人でした。その時、私は既に60歳。エルセーヌに通い始めて18年もの時が流れていました。

Yちゃんは、若さの中に人を柔らかく受け止めてくれるあたたかさと、何を任せてもしっかりと期待に応えてくれそうな凜とした雰囲気を併せ持った女性でした。

「この人、いずれ店長になるわ・・・!」

彼女をひと目見て、私はそう思いました。
技術についても勉強熱心なYちゃんは着々と実力を磨き、さらに人望を集め、1年もすると私が思った通り、その店の店長に就任したのです。

「Yちゃんは、きっともっと成長して、もっと活躍する!」

私がそうにらんだ通り、彼女はさらに1年が過ぎるのを待たずに、都内の大きな店の店長となって異動することが決まりました。

密かに成長を見守ってきた私としては、Yちゃんがいなくなるのは淋しいし、もう彼女の施術を受けられなくなるのはとても残念なことでした。
でも彼女の活躍はやっぱりうれしくて、その後も、Yちゃんが結婚した、妊娠した、産休に入った・・・という噂を聞いては、陰ながらずっと応援し続けていました。

だから、私の通う店が移転統合されることになったと聞いた時、私は迷わずYちゃんのいるI店に移ることに決めたのです。

再会

2017年4月、私は、Yちゃんが店長を務めるI店へと通い始めました。
私のデータはしっかりと引き継がれていて、アットホームな点では前の店に勝るとも劣らないI店に、私はすぐになじむことができました。
ただ、Yちゃんは育児休暇のため不在でした。

しばらくして、待ちに待った知らせが届きました。

「A様、Y店長が復帰します。お子さんを預ける保育園も決まったようで、ようやく職場復帰です!」

その時のうれしかったこと!

「やっと会える!! Yちゃん、どんな素敵な女性になっているかしら。」

7年振りのYちゃんは、私の想像以上に大人の女性に成長していました。
人を柔らかく受け止めるあたたかさと凜とした芯の強さに加え、今では、母親らしい懐の深さが感じられました。

「A様、また一緒に頑張りましょう! 今度は一緒に『お客様変身コンテスト』を目指しましょう!」

再会の感激で瞳はうるんでいましたが、やっぱりYちゃんは私の心をしっかりと見通していたのだと思います。

「私、もう67歳なんだから・・・。いいわ、そういうのは若い人に任せておけば・・・。」
そう言って尻込みしようとする私とは別に、もう一人、
「こんな体型のままじゃイヤ。溜まってきたセルライトだって何とかしたい。もっと元気に、健康になりたい―――!」そう思っている私がいることを。

こうして、時の流れに任せて老いの入り口をくぐろうとしていた私の、最初で最後の挑戦が始まったのです。
復帰したYちゃん率いるI店のみんなに支えられての挑戦。目標の「お客様変身コンテスト」は3ヵ月後に迫っていました。

娘からのSOS

私が最初にしたことは、主人の了解を得ることでした。
これまで、妻として母としての生活を最優先してきた私にとって、エステは月数回のお楽しみでした。でも、本気で体型を整えコンテストを目指すとなれば、3日に1度はエルセーヌに通うことになります。
年齢的に家にいることが多くなっている主人に迷惑をかけることはできません。

「パパ、私、“お客様変身コンテスト”に挑戦してみたいの。年齢的にも多分、これが最初で最後のチャンス。だから、自分なりに結果を出したいの! 本気で頑張ってみたいの! ・・・しばらく外出も多くなるけど、許してもらえる?」

主人は、昔から穏やかでやさしい人。
黙ってじっと私の話を聞いていましたが、「わかったよ」と言って許してくれました。

さあ、これでお墨付きももらえ、いよいよ集中してエルセーヌに通おう! そう思った矢先、大変なことが起こりました。
オーストラリア旅行から戻ってまもない娘が体調を崩し、私に助けを求めてきたのです。

娘は、私の3人の子ども達の末っ子で長女。待望の女の子でした。
彼女を出産した後、私は大量出血で一時、生死の境をさまよった、―――まさに命がけで生んだ大事な大事な娘でした。

娘は留学先のオーストラリアで、やはり日本から留学中だった男性と知り合い、帰国後に結婚。二人の子どもに恵まれ、下の子が飛行機に乗れるようになるのを待って、かつての友人を訪ねる旅に出たのでした。

旅の疲れが出たのか、娘は帰国後に風邪を引き、その後に出た発疹が全身に広がって治らず、とうとうある日、「ママ、SOS!」と連絡してきました。
駆けつけて目にした娘の姿は、今もまぶたに焼きついて離れません。服で隠しきれない腕にも、脚にも、顔にも、肌のすべてに痛々しく発疹が広がっていました。
カポジ水痘様発疹症との診断で、すぐに入院。単純ヘルペスが悪化した病気で、治癒しても再発の可能性があるという厄介な皮膚炎でした。

娘が入院中の5日間は私が2人の幼い孫を預かり、退院後もしばらくは娘のところに泊まり込んで家事を助け、励まし続けました。週末は家に帰り、主人の1週間分の食事を作ってストックし、掃除・洗濯を終えると娘のところにトンボ返り。主人も「僕のことはいいから、あの子を元気づけてやりなさい」と・・・。ひたすら娘を想い、支える日々でした。

そんな生活が1ヵ月ほど続いたでしょうか。
ようやく娘の体調も落ち着き、当たり前の日常生活を送れるようになったのを見届け、私がエルセーヌに戻ったのは5月末のことでした。

さあ、ダイエット再開です!
テンションが上がった私は、あれもやってみよう、これもやってみようと、今まで試したことのなかった新コースにも次々とトライしました。すると、試すコース、試すコース、すべて良い結果が出るんです。だから、ますますテンションが上がります。

その時、私はようやく気づきました。
エルセーヌで次々に新しいコースが誕生したり、定番コースがしばしばバージョンアップするのは、すべて意味があってのことなんだ。
それは、季節の移り変わりや生活習慣の変化から来る体調の変化や微妙なゆがみに対応しての進化なんだ。だから理に叶っているんだ。
今まで「私のエステは健康が目的だから、痩せなくてもいいの!」なんて言っていたけれど、結局、健康のことを本当に考えていないのは、私の方だったんだ―――!

エルセーヌに通い始めて26年目にして、私は、身体が芯から変わっていくという初めての体験に胸をときめかせ、努力を続けました。
その結果、実質わずか40日間で、体重−6kg、ウエスト−9cm、太もも−11cmを実現し、7月に行われる「お客様変身コンテスト」のファイナリストに選ばれたのです。痩身部門では、60歳代でただ1人のファイナリストでした。

2度目の挑戦へ

7月のパーティは、それは華やかなものでした。
初めて経験するコンテストの授賞式。キラキラと輝くように美しさを磨き抜いたファイナリスト達が、それぞれスタッフのエスコートでまぶしい舞台に上がり、その中から各賞の受賞者が発表されます。

私もファイナリストの1人としてYちゃんのエスコートで舞台に上がりました。
でも、残念! 受賞は逃してしまいました。

「・・・やっぱり準備が足りなかったわね。」

浮かない顔でこうつぶやく私の目をまっすぐに見つめて、Yちゃんが言いました。

「A様。今、A様の身体は良い方向に向かってどんどん変わっていますよ。
 頑張りましょう! 次へ向けて!!」

次のコンテストは12月23日―――、5ヵ月後です。
実はその時、Yちゃんのお腹には2番目のお子さんがいました。

「12月のパーティにはご一緒できませんが、途中から副店長のMにしっかりバトンタッチしますから、安心して任せてくださいね!」

頼もしい言葉に支えられ、68歳になった私の挑戦は続きました。
以前にも増して努力を続けた私には、さらに次々とうれしい変化が感じられました。
セルライトだけでなく、あれほど気になっていた静脈瘤がどんどん薄くなり、また、身体のゆがみがなくなっていくのと同時に、長年の腰や股関節の痛みがいつの間にか薄らいでいきました。

「ねぇパパ、見て見て! ここ。静脈瘤の色が、ほら、こんなに薄くなったでしょ?
 ずっと通っていた整体院にも、最近、全然行ってないのよ。行かなくても平気なの!信じられる?」

変化を実感するたびに、私は主人に報告しました。寡黙な主人は褒めてくれることこそありませんでしたが、いつも静かに私のおしゃべりを聞いていてくれました。

こうして私は再びファイナリストに選ばれ、いよいよコンテストが開催される12月を迎えました。
ところが、最後の追い込みに入っていた私を、再び家族の危機が襲います。
最愛の主人が緊急入院し、手術を受けることになったのです。

暗闇を越えて

ことの発端は、コンテストの1週間前。お友達のご夫婦と私達の4人で年末の食事会をする約束で、主人と揃って出かけた時のことです。
実は主人はその朝、出先で軽いめまいを起こしていたらしいのですが、「今日は飲まないから大丈夫」と言うので一緒に出かけたのです。

同年代の夫婦2組。会話は自然と、お互いの健康状態のことになりました。
ご一緒した奥様が、最近、高血圧気味で携帯用の血圧計を持って歩いているという話に、もともと血圧が高めの主人も興味を持ち、その場で4人、代わる代わる血圧を測ってみることに。すると、なぜか主人だけ、何度試してもエラーになってしまい結果が出ないのです。

その夜はそのまま別れたのですが、翌朝起きると、昨夜の奥様から私の携帯電話に何度も何度も着信履歴が残っていました。急いでコールバックすると―――、

「あのね、ご主人の血圧のこと。あの後、やっぱり気になってしまって・・・。
 今日は日曜日だから、休日診療医を調べたわ。絶対、病院に行って検査してもらって! お願いよ! 絶対だからね!」

そこまで心配していただいて、行かないわけにはいきません。面倒がる主人をせきたてるようにして、私達は教えられた休日診療医へ向かいました。しかし、心電図を取ってもらったものの専門医でないためよくわからず、心臓外科の受診を勧められてその日は帰りました。

翌朝一番で心臓外科の専門病院へ。心電図を取り始めた直後から、診察室が緊迫した空気に包まれるのがわかりました。
主人は、極度の“房室ブロック”、つまり、心臓が拍動するための電気的な信号を全く発しておらず、細胞が自力で発電することで何とか脈を打っている。今すぐにでもペースメーカを入れないと命が危ないというのです。先日のめまいもそれが原因でした。

病院側の判断で、その場で救急車が呼ばれ、主人は手術の設備が整った大病院へと搬送されました。
あまりにも急なことで、立ち止まって考えている暇はありません。でも私には、立ち止まってでもお医者様に伝えなければならないことがありました。主人はヨードアレルギーだったのです。

ヨードアレルギーがあると、CT検査や手術の際に用いられるヨード造影剤が使えません。つまり、ペースメーカを入れる手術も、暗闇の中、手探りで行うようなことになります。でも、ほかに方法はありません。
私の目の前には、様々な誓約書が次々と運ばれて来ました。
手術のリスク内容の説明、数々の条件と、それらを受諾する選択肢・・・。すべてをその場で私が判断し、サインをしなければならないのです。泣いている暇はありません。

「パパ、死なないで・・・お願い!!」

あまりの慌ただしさと不安の中で、私は自分の髪が一度にすべて抜けてしまうのではないかと思うほどのショックを抱え、ろくに食べることも眠ることもできないまま、3日後、主人の手術の日を迎えました。

―――「無事に終わりましたよ。」

手術室の外で祈りながら待つ私に、看護師さんが声を掛けてくれました。

「あぁ・・・」

その場に崩れそうになりながら、私は、ようやく身体中にあたたかな血が巡り出すのを感じていました。
主人がめまいを起こした日からわずか5日間のできごと。でも、それは私にとって永遠に暗闇が続くかと思えるほど長く苦しい時間で―――、2日後に迫ったコンテストのことなど、すっかり忘れていました。

光の中で

コンテストのことを先に思い出してくれたのは、主人の方でした。

「こっちは、もう大丈夫だから。安心して行っておいで」と。

はじめは、何の話をしているのかわかりませんでした。
でも、次の瞬間、私はコンテストに向けて努力を重ねてきたことや、小さな変化に一喜一憂したこの5ヵ月間のことを思い出したのです。

「いいの? ホントにいいの?」

「あんなに頑張っていたんだから、行ってきなさい。
 エルセーヌの皆さんも、きっと待っているよ。」

主人のやさしい目に見守られながら、私はエルセーヌに電話を掛けました。

「―――― もう大丈夫。私、コンテストに参加します。」

当日は主人の病室で着替え、この日のために自分で縫い上げたドレスを見せてから、タクシーで会場へ向かいました。

会場に着いても、Mちゃんのエスコートで舞台に上がっても、頭の中は主人のことでいっぱい!
上の空でボーッとしている私の耳に、ふっと、聞き覚えのある名前が聞こえたような気がしました。

「ラインビューティ部門セルライト撃退賞の受賞者は、I店、A様!
 おめでとうございます!!」

・・・えっ? 今、なんて言った??
えーーーっ!? わ・た・し!!?

一緒に舞台に上がったMちゃんが、くしゃくしゃの笑顔で抱きついてくるのが見えました。

「パパ! 私、やったわ! パパが見ていてくれたから頑張れたのよ!!」

私の心は、もうとっくに主人の待つ病室に向かって駆け出していました。

A様の近況
最愛のご主人様はその後、着々と回復され、今では大好きなゴルフも再開されたそうです。
A様ご本人はというと、店内ポスターになったご自身のビフォーアフター写真を見て、「恥ずかしいけど、これがどなたかの頑張るきっかけになるなら嬉しいわ。私だって自分の分身にここまで見つめられたら、もっとキレイにならなくちゃね!」と、くすぐったそうに話されています。
そうですね、A様。これからも、もっと健康的に美しく、一緒に頑張りましょう!